珍しく砂糖入りのコーヒーを。
「よいっしょ…」
こうして、コーヒーをこぼさないよう注意しながら壁を"垂直"に上っている光景を、
忍でない人間が見たならば腰を抜かすかもしれない。
幸い、林のど真ん中に立てられた二階建て一軒家の周りには民家がなく、
女の奇行を見守るのは、静かに佇む木々のみだった。
事も無げに屋根の上に到着した女は、熱々のコーヒーに口をつける。
今はもう寒い時期ではないが、コーヒーはホットに限る、と、
暖かい液体が喉を伝い落ちる感覚を確かめながら、年寄り臭い考えを巡らせた。
本日は快晴、とはいかないが、星が出ている。
月はあいにく雲に隠されているようで、辺りは少し薄暗かった。
冬のほうが星空は綺麗だといったものだが、夏もまた夏で味わいがある。
容易に見つかった夏の第三角形に少し満足して、またコーヒーに口をつけた。
「おい、」
「あがっていいよぉー。開いてるから」
「随分無用心だな。」
「入られて困るようなもんは置いてませんから。」
「…そういう問題かよ…」
「あ、洗濯物干してあるけど見んなよ。」
「誰が好き好んで見るか。」
「んだとーっ照れんなうちはサスケっ」
「(照れてねぇ…!)」
唐突に呼ばれた声に、驚くでもなく、その主を確かめる訳でもない。
彼はここの常連である。
*
「うちを喫茶店か何かと勘違いしてない?ん?」
さも当然の様に、コーヒーを持ってきたサスケ。
そのことに断りすらいれなくなってしまった部下を見て、少し不服そうにが言う。
「そろそろお金とろうかなー無礼なサスケ君。」
「たかがコーヒー一杯けちけちすんな。」
「まっ!ふてぶてしい17歳だこと。」
「まぁ、今日で18んなるけどな。」
「……そうだねぇ。」
「アンタは今日で21に…―痛ッ!」
「私は永遠の20だと何度言ったら分かるんでしょうかね。」
全く可愛くない部下だ。全くもって可愛くない。
は鉄拳を食らわせたサスケに更に言い返す。
「まぁサスケはまだ飲酒も出来ないガキ、…いダッ!ほっへつねふな!」
「ガキじゃねぇ。別に酒も飲める。」
「はーハヒハヒ。はなひてって。……そういやサスケ君はザルでしたっけね。」
そして少し冷め始めたコーヒーを口に含んだきり、は閉口した。
つられてサスケも押し黙る。
無意味な沈黙の間、はずっと星空を見上げていた。
それを横目に見つめるサスケに、気付きもせず。
……否。気付かない振りを、しながら。
夜が更ければ、今日は、終わる。
何度か、続けざまに任務をともにして以来、
サスケと一緒に誕生日を迎えるのはこれで3度目だ。
しかし、いつも胸にしこりのあるものが残るのだ。 丁度、今みたいに。
「サスケは、」
星空に目をやったまま、が言う。
「サスケは何で、早く大人になりたいって思うの?」
「何だよ、急に。」
「だってガキ扱いすんなって言ったじゃん。色々お得だと思うけどなぁ、オトナ何かより。」
サスケは低く咳払いをして、
「じゃあアンタは、何でずっと20で居たいって思うんだよ。」
「え…そりゃあ、若いまま、綺麗で居たいじゃ…
「何のために?」
「え?」
の言葉を遮るようにして、強く言い切ったサスケを、は少し驚いたように見る。
「(う、わ……)」
サスケも、こっちを見ていた。
月の無い薄暗い夜、周りは闇に包まれた中で、不意に見つけてしまった漆黒の目。
星空を背にして自分を見下ろすサスケの目。
これ以上見ているのが何故か怖くて、慌てて目を逸らした。
「だから、何のために、?」
「え…え、と……。」
分からない。私だって分からない。
そう素直に言い返したかったが、サスケが、自分に何かを言わんとした口調で問うから、
は喉元まで出かかった言葉を飲み込んでしまうのだった。
「てか、質問に質問で返すなんて礼儀がなってないでしょ。サスケから…」
「別にそんな礼儀、知らねぇ。」
「ちょ、私仮にも上司なんですけど?少しは部下として慕う気は…」
「ない。」
「んな…!」
が話を変えようとするも、サスケは少しむっとした表情で滅茶苦茶な返事をするだけ。
思考するを尻目にハァとため息をつくと、サスケはボソりと呟いた。
「……オレは、早く大人になりたいと思うぜ。」
「…どうして?」
「……どうしてだと思う?」
「今日のサスケ、何か変。私を質問攻めにして楽しい?」
「オレは、一つの答えしか聞いてないつもりだったんだけどな。」
「一つの…?」
あ、
「そっか…アハハ」
「…なんだよ。急に笑って気持ちワリーな。」
「いや、ね。やっぱ、認めちゃっていいのかな、コレって。」
「私、君のために、綺麗になりたいんだろうね。」
が言うと、サスケは。
「……やっとかよ。」
そのとき、初めて笑みを作ったのだった。
目を細めて、口角を上げるだけの、彼らしい笑み。
サスケは隣に座るの後ろに手を回し、
ゆっくりと、その目を見つめた。
そっと、額同士が触れ合う。
「そっかそっか。これは兄弟的な感情かと、思ってたんだけど。」
が真面目な顔をして言い終えると、サスケは噴き出した。
「は、アンタらしい。仕事ばっかしてるから、そういう感覚が鈍るんだよ。」
「でもサスケの私に対するアツーい視線には、何となく気付いてたよ?」
「…!…おま…!」
「でもサスケは私の部下だし。私って世話好きだから、一人暮らしのアンタを放っておけなかっただけなのかなーとか、思って。サスケ、ガキだし。」
「おい、どっちかって言うと精神的に大人なのはオレのほうだろ…」
「うるさいな!年下の癖に 「あー、ちょっと、黙れ。」
言葉は、最後まで続かなかった。
ねぇサスケ。
私たちの誕生日は三年越しで、
祝う日は、同じ。
一つ離れる間もなく、一つ追うのか
一つ追いつく間もなく、一つ離れるのか。
どっちなのかは分からない。
私たちの鬼ごっこに、終わりは来ない。
だけど、私は。
だけど私は、お互いがこうして思いあえていたなら、
温かいコーヒーのように、心身を満たす存在であれるのだと、信じたい。
どうか、気付いてしまったこの恋を、愛を
この星空と共に、永遠に変えて。
貴方、星空、コーヒー
私の、幸せの条件。
*kigetsu
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