「雲雀さん」 そっと、呟くように名前を呼んだ。聞こえているのかいないのか、彼は窓の外を眺めたまま振り返らない。 眩しいほどの大きな大きな夕日が窓から差し込んで、雲雀さんの背中を光の中に溶かしてしまいそう。 「雲雀さん」 もう一度、今度は少し声を強めて呼んだ。今度は聞こえたはずなのに、振り返らない。 怪訝に思って雲雀さんに近づいてみると、目は閉じていたけれど、息もしているし、近づいてきた私の気配にだってちゃんと気付いていて、目だけで私のことをちらりと確認した。 「聞こえてます?ちゃんと。」 「……」 「雲雀さん、ってば」 けれど彼は再び窓の外に視線を戻すと、少し勢いを失った夕焼けに目を細めただけだった。 「雲雀さん。夕焼け、綺麗ですね、」 「………」 「私、この部屋から見える夕日が大好きだったんです。」 「………」 「……ずっと、このまま、沈まなければ、いいのに…なぁ。」 目を、閉じる。 だって夕日が沈まずにこのまま時が止まれば、夜闇と共にやってくる貴方との別れと出会わずに、ずっと過ごせるでしょう? 目は閉じたまま、窓枠に頭をもたげた。私の願望などまるで無視して沈む夕日を見たくなかった。 夕方になって少しだけ冷えてきた風にのって、私の大好きな香りが鼻腔へ届いた。 「。」 短く私の名前を呼ぶ声に目を開けると、目の前に雲雀さんの顔があった。私が目を開いたのを確認して小さくため息をつくと、「そんなところで寝て、風邪引いたら承知しないよ。」そういって羽織っていた上着を乱暴に頭から被せた。 彼の香りに包まれて、逆にいい夢が見られそうだ。そんなことを想いながら雲雀さんを盗み見ると、まだ夕日を見ていた。 「もうほとんど日が暮れますね。あ、あと5分で下校時間です。」 少し勇気が要ったけど、腕時計を見ながらそんなことを呟いてみた。 中学時代は、他ならないこの人のおかげさまで規則正しい生活を強いられていたため、完璧に把握した日程は卒業した今も身に染み付いてしまっている。 彼の返答を予想する間もなく、彼から声が降りかかってきた。 「…残ってる輩がいたら…噛み殺すだけだよ」 そう呟いた姿が、心なしか楽しげに見えた。やっぱり並盛は、雲雀さんにとってかけがえのない場所なんだ。 そしてその返答に心底嬉しがってしまっている自分に気が付いた。 「帰るって言い出すかと思いました。」 「帰りたいの?」 「い、いえ、そんな……」 「ふぅん」呟いて私から目を逸らした雲雀さん。その横顔から目を逸らせなかったのは、あっという間に残り半分となった夕日に照らされた顔がとても美しかったから、という理由だけではなかった。 不意に宙ぶらりんになっている雲雀さんの手を見つけた。私は一瞬のためらいもなく、その手を握っていた。 「(アレ、どうしたんだろう私。)」 流石に驚いた様子の雲雀さんが私を見下ろす。けれど今度は逆に私から視線を外の景色に移したので、それ以上の表情は私には分からない。 「ねえ雲雀さん。」 「……何」 「また一緒に、夕日を見ましょう。」 「………」 「おじいさんと、おばあさんになってからでも、いいですよ。生まれ変わった後の姿だって、いいです。何があっても、こんな風に、穏やかに、暮れていく夕日を、見ましょう。約束、してくれますか。」 「………」 見上げた雲雀さんは、また、目を閉じていた。お陰で不意にこぼれてしまった涙を見られずに済んだ。 静かに力をこめた手に、握り返される力を感じた。それだけでも、十分すぎるほど十分な返答だった。 星が灯り始めた空の下を、貴方のバイクに乗って走る。 その背中に思い出すのは、さっきの寂しげな顔。夕日を見つめながら、時に目を閉じながら、一体貴方は何のことを考えていたんでしょうね。 私はきっとこの約束のせいで、残された私を取り巻く涙に濡らされて、凍える夜をいくつも超えていかねばならないのでしょう。けれど、約束を―…そう、つまりは貴方を…―忘れないためならば、そんな苦しみでさえも愛おしいのです。 貴方を信じて、私は目を閉じる。その時には、別れの日には言えなかったこの想いを伝えようと思います。 残雲に想いを託す
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. * 目を閉じて君の声にだけ耳を澄ませていたのだと言ったら、流石に君は笑うだろうか。 |