…もうとっくに、錆付いていた。 刃こぼれし、油が付着し、切り捨てられなくなった刀。 もうほとんど殴りつけることしか出来なくなった得物なら、投げ捨てるだけ。 しかし、刀を変える一瞬の暇さえ気を抜けない。 (一人の人間として、守りたくて) 後ろで隊士が倒れた声がしても、その血を正面から浴びようとも、 決して折れない……と、そう思い込んだ……決意を胸に秘め、また駆け出さねばならない。 (ただの女として、守られたくなくて) 下らない世の中に絶望したとして、何が変わる? 嫌いであろうがなかろうが、闘争をやめたとしたら何が残る? 結局、途中で刀から手を離すことは、即ち死を意味していたのだ。 刀は自らを守り、同時に主張するための唯一の手段だった。 だから私は恐怖に染まった相手の顔を瞼の裏に焼き付けながら、 一人また一人と地へ沈めて逝かせるのだ。 そうすれば何かが変わる気がしていた。 そうしてお前と背を突き合わせ、お前を生かすことで、何かを変えてくれる気がした。 腐っていたのは私の思考か、世俗か。 どちらにせよ、麻痺した私の感覚では計り知れない。 一つ覚えに刀を振るい、その先に立っているのがお前であるならば、それで満足だった。 * 頭の先から、足のつま先まで、余す所なく濡れたところで、私はふと我に返る。 ――…一体どれだけの時間をこうしていたのだろう。 どこをどう通ってきたのかは覚えていないが、見知った土地だ。 それに幸いに腰には得物がある。これなら自分の身一つくらいは守れそう、だ…―― 「……ッ!」 体中の血が一瞬にして、凍りついた。 雨のせいではない冷たさが血の巡りを止めたせいで足が動かない手が動かない、頭が働かない。 そんな中で心臓だけが、懸命に己が役割を全うしようとあがいている。 そして目の前にありありと映し出された、 自 分 の 最 期 。 本物の殺気に当てられた瞬間というのは、一瞬にして死を想像させられる。 現に私はこうして、腰のものに手を伸ばすことも、息すらもままならない。 「悪い冗談は…、やめろ…」 やっとのことで搾りカスのように零れ出た言葉を聞いて、背後で私の首筋に白刃を当てていた人物は嘲笑した。 「いい度胸だな。ずいぶん気の抜けた反応じゃあねェか。」 「声をかけるならもっと早くにかければいいものを。お陰でびしょ濡れだ、性悪め。」 「ふらっと出かけたきり帰ってもこねぇでよく言うぜ。」 喉を震わせながら刀を鞘に収める仕草を目で追いながらも、密かに呼吸を静めた。 好きで油断していたわけではない。ただ 。 「それよりか…俺ァこれ以上、この雨ン中に居るなんざごめんだ。……帰るぞ。」 「迎えに、きてくれたのか。」 「……暇なお前と違って、他の連中は全員活動中だ。」 高杉はそれだけ言い残して、私を傘に入れるでもなく踵を返した。 (まぁどちらにせよ濡れきってしまった私に傘は関係ないが。) この雨の中を迎えに来ておいてよく言うよ…。 ふと顔を上げた先にあった小さな背中が、雨に霞んでいく。 私はその背中が見えなくなる前に、慌てて追いかけた。 * 「…寒くないか、この部屋。」 「別に。」 「そうか?どこかから隙間風でも………ッくし」 「…風邪かァ?」 予想以上に外が冷えていたらしい。 一体、何時間馬鹿みたいに突っ立っていたんだか、私は。 冗談じゃない…雨の日に風邪など。 「いや…私が少し薄着過ぎるのだな。……上着を取ってくる。」 「オイ。その上に一体何を着ようってんだ?」 高杉に小バカにされて、立ち上がって自室へ行こうとした足を止める。 む、確かに…。 着物の上に厚手の半纏まで着込んだ自分の姿を見てため息をついた。 正直笑えないぞ、こんな年に、あんな状況、あげく風邪… 「病人は大人しく寝てろ。風邪なんざ一刻も早く直しやがれ。」 紫煙と一緒に深くため息を吐き出した高杉に、軽く肩を突かれた。…本当に、軽く、だった。 「え、」 それなのに私は、後ろにあったソファへまるで倒れこむようにして尻餅をついてしまったのだ。 高杉が僅かに驚いたような顔で私を見ている。だが、きっと私のほうが驚いた顔をしている。 「ったく…世話の焼けるガキだ。」 高杉に抱えられて、敷きっぱなしになっていた布団に放り投げられた。その一連の動作に容赦も気遣いも無い。 「仮にも病人だぞ。」私の言葉に、高杉はつまらなそうに欠伸をしただけだった。 「言っとくが、薬はねェからてめェで治せよ」 「わかっている。」 「万斉が帰ってきたら食いもん位は出してやる。」 「…すまない。」 「せいぜい安静にしてるこった。」 力ない私の一言を聞いた後、高杉はそう言って背を向けた。 外では一向に勢いの弱まらない雨が降り続いている。時折僅かな冷気が室内まで侵入してきた。 生温く重い、雨の香り。 遠くなる足音、背中。 変わったのは、紫煙の香がするくらい、か…? 『。お前とは此処でお別れだ。』 私の返事も待たずに踵を返す。 『理由を教えて欲しいか?』 背を向けたまま立ち止まって、私をばっさりと斬り捨てた。 『お前ェが、女だからだ。』 一瞬世界が音をなくした。 雨を吸い、濡れた地に座り込んだ私を立ち上がらせようともせず、遠ざかる背中。 私の耳に残るのは、男の最後の言葉と降りしきる生温い雨の匂い… 「……何だ、。」 「…あ、す………すまない。…すまない、"晋助"、…」 変わったつもりで居た。あの時、私の目も見れないほどに激しく、幼稚に私を拒絶したお前のために。 私もまた幼稚な誓いを立てたことで、変わったつもりでいたんだ。 だけど こうして今、私の手にしっかりと握り締められた高杉の着物の裾が意味していることは、 私が必死に引きとめたものは今も昔も同じだったということだ。 『なら…私が女でなければ良いということね。』 泥まみれで立ち上がり、血まみれで同じくらい汚い貴方の肩を全力で捕まえた。私はどんな顔をしていたかな。 『愛してる、晋助。』 貴方の瞳が私を真っ直ぐに貫くのも、今は恐ろしくない。そのまま私の心の奥を読めばいいわ、晋助。 『一度だけしか言わない。もう、これきり。だから言って。一度だけでいい。私に、私だけに。そしたら、』 晋助は暫く黙っていた。そしてただ目をそらすことなく、息も絶え絶えに主張する私の手を肩から掴みあげ、囁いた。 愛してる、。そして深く深く、最初で最後のキスをした。 それが合図だった。 私が傷ついたら、他の奴らと同じように見捨てればいい。心折れたら、殺せ。 特別に扱う必要はない。ただ、"お前"が生きて目的を全うするまではそうして傍に置いてほしい。 ただ…それでも、少しの慈悲を持ち合わせるなら そうではなく、どうか私を殴りつけてくれ。そして一度刀を置いて、瞬く間だけ優しく、私を抱きしめて欲しい。 ・ ・ ・ そんなバカな口約束をいつまでも覚えているはずの無いことは分かっていた。 ただの私の自己満足だ、と。私の気持ちの区切りを付けるための呪文のようなものだ、と。 それを聞いて晋助…否、高杉はクツクツと喉を上下させると、行くぞ、とだけ言って私の先を歩き始めたんだ。 「 」 彼は、私に振り返ると、雷と同時にそう呟いた。何を呟いたのかは聞き取れなかった。 ついで腰の得物を静かに横たえると、震える手で晋助の着物の裾を掴んでいた私を一瞬包み込んだのだった。 今でも私達が世界に牙を剥き続けるのは、ひとえに一つの光のためだ。 後進するための道はもうでに自ら粉々に打ち砕いてやったさ。 陳腐な"言葉"は一度でいい。誓いは立てられ、貴方を守るための錆びない刀を手に入れたのだから。 Only one , Only once. だ か ら 、 全 て が 終 わ っ た そ の と き は ・ ・ ・ |
*written by kigetsu
to did you sleep well ?