周りに家はなく、ただただ真っ白な雪原が広がるばかり。

物音一つしない朝の目覚めをいつも通りに迎えた彼女は、いつも通りに大きく伸びをした。

朝の太陽が雪に反射して、まるで雪の結晶が一つ一つ、自ら輝いているようだった。

そんな景色に思わず目を細め、昨晩の豪雪を思い出した。

毎年、この家から街までの一本道を覆い隠してしまうほどの雪が降るが、昨日はとりわけ凄かった。

今日も豪雪が降るという予報だったがそれはあくまで午後からの話であり、午前中はこの様だ。




「…うーっ寒い…!」




長めの長靴を履いて、ざくざくと雪を踏み進む。ドアを出て直の階段は殆ど雪に覆い尽くされていた。

幸い今朝は晴れ模様。今のうちにここだけでも雪かきをしておかないと、そのうち出られなくなる。


「(あーあーやっぱり一人じゃ辛いなぁー…)」


つい先ほどまでいた“彼”は、夜に入っている仕事の為に帰ってしまった。

いつもは七夕の日、“彼”の誕生日の日に逢瀬をする予定が、向こうの仕事の都合でこれなくなり、

今年だけは特別に、クリスマスに会うという約束をしたのだ。


「(それも、直前に入った仕事でイブになっちゃったしー…)」


肝心のクリスマス当日に一人で雪かきとは、クリスマスもクソも無い一日の始まりであった。

だが、夜になれば“彼”も仕事が終わってフリーになるとのこと。



「はやいとこ、終わらせよ。」



自分で自分を励まし、スコップ片手にいざ雪かきを始めようとした彼女に、

後ろから太陽の光を遮って、黒い影が覆い被さった。

















を仰いだりの

 
















「さみーッ…」


黒いジャケットを羽織った青年が、小さく身震いした。


「(こんな日まで仕事かよ……)」


世間では、クリスマス。綺麗なイルミネーションの元でイチャイチャする恋人達が目立ちそうなものだが、

天気はそんなものをまるで無視するかのように豪雪を降らせた。

午前中は見事な快晴だったが、午後になって一気に降り始めた。視界が悪いなんてものではない。


「(さっさと終わらせて、また“あいつ”んとこ行かなきゃな…)」


昼間のクセに、分厚い雲が詰め込まれた空は真っ暗で、街路には電気がついていた。

その街の中のある喫茶店に、今回のターゲットが現れるという情報だ。

どこまで信用していいものかは分からないが、それ以外の情報も入ってきてはいない。



「(……アレか。)」



本人を確認する。自分が誰かに狙われていることを全く自覚していないらしい。能天気な男だ。

これほどまでに警戒を解いた人間を殺すことほどつまらないものは無いが、これは仕事だ。


ターゲットは傍に誰かを連れることもなく、一人で喫茶店を後にする。…この時を待っていた。

あとは、造作も無い。一人の人間が壊れる瞬間が訪れるのみ、であるのだから。

擦れ違いざまに、男の首筋に手刀を食らわせると、いとも簡単にその体は地に崩れ落ちた。


「(…手ごたえがなさ過ぎて殺った実感もねぇな……)」


そのまま遺体を抱えて、指定されていた墓地へと連れて行った。

町外れにあるちっぽけな墓地はもう随分と前から主がいない。

前に住んでいた老人がいたが、跡継ぎがいなかったのだろう。…墓地は荒れ果てている。



「…これで、いっか。」



重い死体を指定された小屋の前で降ろす。…と、不意にキルアは後ろを振り返った。

その先には、一人の女性が立っていた。


「気配消してたのに…気付くなんて流石。」


黒い服、髪、傘。ただ肌だけは幽霊のように白く、ともすれば周りの雪と同化してしまいそうだ。


「………。」


キルアは僅かに眉を顰めた。彼女とは、何度か会ったことがある。

とはいえ、それは彼女が今のようにキルアのことを待ち伏せしていただけであり、一方的なものだ。

またか、と思いつつキルアは言葉を返すこともなくその場をあとにしようとした。


「ねえ、そろそろ返事が欲しいの。」


擦れ違いざまに、彼女は少し微笑みながら言った。

無視して通り過ぎようとすると、女はキルアの前に回り込んできた。



「…無視しようったって、ムダよ。……貴方には、今日こそ応と言ってもらうわ。」

「丁重にお断りします、エリザベス様。」

「リズでいいって言っているのに。それにしても相変わらず冷たい人ね。」



わざとらしく敬語を使い、去ろうとするキルアを後から追いかけつつ、エリザベスが声をかける。



彼女には前から求婚されていた。

貴方の実力に惚れただとか、お金ならたくさんあるとか、幾度となくそんな言葉も聴かされてきた。

彼女、エリザベスは一言で言ってしまえば完全無欠なお嬢様、だった。

容姿端麗、ハンターライセンスを持っていて、念も多少なり使える。

世界的に有名な企業の令嬢で、金にも困っていない。


ただ、そういう世界で暮らしてきた人間と言うのは、図らずとも他の人物を下に見てしまう習慣がつく。

所詮は“お嬢様”。



「…つか、何回も断ってんのにしつこいんだよね、アンタ。」

「貴方が応と言ってくだされば全て終わる話よ、キルア。」

「……断る。じゃーな。」



いくら念を使えるとはいえ、実力的にはキルアのほうが数段上である。

これ以上追ってくるなら殺すことを考えても良い、とさえキルアは思っていた。

彼女に自分は殺れない。そのことを分かった上で立ち去ろうとするキルアに、エリザベスが言葉で追った。



「キルア!…今度こそ、私の話を無視してみなさい!」



気にせず歩き続けるキルアに、更に決定打を打ち込んだ。




「貴方の大切な人が、死ぬわよッ!!」




キルアは、緩やかに足を止めた。


彼女はそれを見て、一息………つこうと、した。


「!!」


目の前からキルアは消え、その代わり自分は仰向けに押し倒されていた。

何時の間にか視界には空が広がり、雪が降ってくる。そしてキルアの顔があった。

彼の瞳は獣が狩りをするときのそれで、見続けていれば殺されてしまいそうな恐怖感に駆られるのに、

それでいて逸らさせてはくれない。


エリザベスの喉元を片腕で押さえ込み、もう片方の手は変化させた爪を構えていた。






「…あ?何か、言ったか?」






いつもの調子とは異なる、腹に響くような低い声でキルアは言う。


「…言ったわ。けど、それが何か。」


彼女も負けてはいない。冷や汗をかきつつも、口調だけはいつものように強気だった。

キルアはその返答を聞いて、片腕にかける体重を若干増やした。

エリザベスが、うっ、と呻き声を上げた。

それを見て特に何も感じないかのように、キルアは徐々に片腕に体重をかけていく。



「オレの大切な人がなんだって?…オレに大切な人がいると思うのかよ?」

「…ッくぁ…!」

「……答えはNoだ。見透かせる嘘をつくんじゃねえよ。」



彼女の顔から血の気が失せてきた所で腕を放すと、エリザベスはその場で咳き込んで慌てて呼吸した。



くだらない。

くだらない嘘をつく女だ。

オレの大切な人?…そんなもの、お前が知るはずねぇだろ。



一瞬脳裏を掠めた“あいつ”の顔を振り払う。そしてすっかり頭に積もった雪を手で払いのけた。

この大雪のせいで体が冷えてしまったようだ。

いくら寒さに強くても、傘もなしにここまで降られると、流石に多少なり影響が出る。








「それでは………さんは…」




「…?」

後ろで、尚も言葉を続けようとするエリザベス。



「それではさんのことは……どう説明する…つもり、なの……?」



寒さと、痛みと、恐怖で少し震える声を何とか落ち着かせようとしながら言った言葉には

微量の迫力もなにもないが、不意に出された“あいつ”の名前に、僅かに体が反応してしまった。



「……は?…?誰だよ、それ。」

「知らないとは、言わせないわ。」


傘を支えにしながらエリザベスは立ち上がる。


「何も私がいつも…お仕事を依頼しているのは、ゾルディックだけじゃないのよ。

 …他の組織に依頼して、貴方の後をつけさせた……。」



後などつけられた記憶はない。これは…ハッタリだ。

でも名前はあっている……。どこかで、調べたか?


でもどこで?



「そこで見つけたのよ。」



自分の優位を感じて僅かに微笑むエリザベスの唇から、自信満々に言葉が紡がれる。



「草原の中に立たずむ、小さな一軒家をね。」

「(………!)」






キルアの表情はいたって冷静だったが、頭の中は殆どパニック状態に等しかった。

これでも職業柄、ものの気配には敏感なほうだと思っている。



だからこそ、つけられていたなんて信じられない。



否、信じたく、ない。





「お金さえ払えば、相当腕の立つハンターを手配できるのよ。」


それから、

と彼女は付け足して、上着のポケットからケータイを取り出した。



「信じられないのなら、声でも聞かせてあげるわ。」



キルアが何も喋らないのをいいことに、エリザベスはどこかへ電話を繋げた。



「あ、もしもし。さんを出していただけるかしら。」

「………」

「…もしもし、さん、だったかしら。」





キルアは、返す言葉もなくその光景を見ていた。

頭の中では必死に否定しているが、実際声を聞いてしまえば信じざるを得なくなる。




「はい、どうぞ。」




エリザベスに差し出されたケータイを受け取り、そっと、耳を当てた。



「もしもし。」





それが、全然知らない人間で、あったのなら。











【……キル、ア…?】














どんなに、よかったことだろうか。














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