夢を見ていたような、気がした。








これからいざ、雪かきをしようと思っていた矢先、の話。

私の視界は暗転し、ただ一瞬、ほっぺたが冷たいな、と思っただけだった。


それが雪の上に倒れこんだせいだったんだと気付いたのは、次に目が覚めてからのこと。




見知らぬ所で目が覚めて、ぎしぎしして動きにくい体を無理矢理動かして周囲を確認すると、

やたら身長が高くて大柄の男がまわりに何人も立っていた。

最初は集団レイプか何かかと思って、それだけでも体が震えた。


…でも、様子を見ているうちにそうではないと、気がついた。


「はい、了解しました、エリザベスさま。」

男のうちの一人が電話で話をしていて、その電話を私に押し付けてよこした。

戸惑っていると、いいから受け取れ、とさらに強く押し付けられた。

恐る恐る電話に出てみると、これまた聞きなれない女性の声だった。



【もしもし、さん、だったかしら】

「はい、そうですけど……」


思わずそう答えると、今度は声が変わった。


【……もしもし。】


今度は、酷く聞きなれた声だった。…否、最近聞いた知人の声は、もうこの人しかいない。確信が持てる。




「……キル、ア…?」


違っていたらどうしよう、と恐る恐る尋ねる。返答は、ない。


「キルア?…キルアなの?……返事、して」


もしかしたら違うかもしれない、でも私はもしもの可能性にかけてその声にすがりついた。

何でも良い。何でもいいから、助けてほしかった。


【………ああ。】


肯定の返事と取れるキルアの声が、再度聞こえた。

…キルア、だ…!


「キ、ルア…ごめん、あたし……知らない奴等に捕まっちゃって…今朝、キルアが出てすぐあとに…。」


動かない頭をフル回転させる。舌がついてこなくて、息が上手くできなくて、言葉は途切れ途切れだった。

キルアからの返答はなく、かわりにあの女の声がした。……一体、何が起きているというのだろうか?

少なくとも、私は誘拐されてしまったんだろう、と言うことくらいはわかる。

そしてキルアもまた、束縛された状況にあるのだ、と。

念能力が使えないことは、さっき確認した。強制的に“絶”にさせられる状況らしい。

……それは、私から行動に出ることは不可能であるということだった。




キルアに、迷惑をかけてしまった。

キルアは悪くないんだ。悪いのは、気配を読む習慣をなくしてしまった私の方。

もしも私のせいでキルアが危険にさらされているのだとしたら、もういたたまれない。

罪悪感が私の心を満たすには、そう時間はかからなかった。

涙も出そうになったが、それは何とか堪えることができた。…私は、ここで泣いていい人間じゃない。



夜には帰ってくるはずだったキルア。その帰りを待っていたはずの私。

明日はパーティでもしようか、そう話していたイヴの夜が、遥か昔の記憶にすら思えてしまった。

























落ちる落ちる落ちる落ちる。

とにかく、落ちていた。


「やっべ…ここが何階だったかあんま考えてなかったな…。つか、大丈夫か?」

「うん、何とか意識はあります…。」

「でも飛び降りなきゃ、確実に“アレ”の餌食になってただろーな。」


落ちた直後の、空中での会話。

キルアは腕の中のの意識を確認した後、自分達の頭上を掠めた弾丸の雨を見て言った。

空中でを横抱きにしたキルアは、足に神経を集中させてオーラでクッションを作り、着地した。


「あっぶね…!着地成功っと!」

「…あ、ありがとう」

「いいって。は何年もこういうのから離れてたんだから…しょうがねぇよ。それに…」

「…え?」


キルアは周りを見渡した。も、その視線を追って見渡して、思わず息を呑んだ。


「んなこといってる場合じゃないみたいだな。」

「どうするの?」

「…取りあえず、逃げるか。」


城の内部からも、敷地内のあらゆるところからも使用人が顔を出して銃を構えていた。

キルアとが同時に地を蹴った直後、二人がいた場所は蜂の巣と化していた。


「思ったより数多いな…めんどくさーっ」

「でもあの程度なら、キルアなら余裕なんじゃない?」

「……アレ、結構言うようになったじゃん」

「ちょっとだけ…ちょっとだけだけど、感覚が戻ってきたの。」


は手をグーにしたりパーにしたりしながら、口元に笑みを浮かべる。

「(…強制“絶”状態も解けたみたい……上手くいけば念、ちゃんと思い出せるかも。)」


追ってくる弾丸を避けつつ、二人は敷地を越えて門を出た。

まだ安心できない。この森で迷ったり、はぐれたりする可能性も無いとは言えない。




「…、先行け。」

「……へ?」

「先行け、つっったんだよ。オレはここで少し数を減らしてく。」

「でも、この道知らな…」

「真っ直ぐだ。僅かに獣道があるのが分かるか?それを辿れば必ず街に着くはずだぜ。

 ……オレも、直追いつく。」



がでも、と反論しようとした時、門の中からたった一人の男が出てきた。

他の使用人たちは、敷地内から出ようとしない。…ということは


「いよいよお出まし、ってわけか」


恐らくアレが、例のハンターである。

「(こうなったらもたもたしてらんねぇな…)、早くいけって!」

「……だけど、キルアは…!」

「直追いつくって言ってんだろ!」


男と対峙していたキルアが、の方を一瞬、振り返る。


「……だいじょーぶだから、早くいけって。」


キルアはこの場に似合わぬような笑みでそういうと、また男のほうを向いた。

はそんなキルアの背中を目に焼き付けるようにじっと見た後、踵を返して駆け出した。

背後での足音が遠くなっていくのを感じ、キルアは少し安堵した。…これで、は安心だ。



「お別れは、もうすんだのか?」

「あれ、わざわざ待っててくれたわけ?…随分と人がいいんだな。」

「まぁ、コレがお前の最後になるんだからな……お前を始末した後、あの娘のことも始末する。

 ただ、それだけの話だ。」



目にも止まらぬスピードでキルアの視界から消える。

キルアもそれに対応して身を翻し、攻撃を受け流し、隙を探す。




……もう、やゴン達と出会い、別れてから数年が経った。

あの時よりは、ずっとずっと強くなったんだ。

(ただ“殺し屋”としてその力を使うことは望んではいなかったのだが…)




大切な人くらい、守れなくて


何のためにつけた力だと、いうのだろう




キルアはギリ、と歯ぎしりをした。変化させた手に、力を込めた。












荒い呼吸と、武器と武器がぶつかり合う高い、鈍い音、肌を切り裂くナイフの風を切る音。

そんな騒音に包まれていた森が、静寂を取り戻す。



取り戻した、時には。



「(………オレも、バカんなったよな…。)」



キルアは地面に伏していた。力が抜けたからそうしているというよりは、気が抜けたから、だろう。

今まで越えてきた死線の数は、数え切れない。

だが、こんなにむちゃくちゃな戦い方をしたのは久しぶりで。


「(ガキの頃、みてぇだな、まるで…)」


男に抉られた腹が、ずきずきと痛む。だが、男の方の腹は更に大きく抉れている。

男は動かない。


そして……恐らく、死んでいる。




中から、使用人たちがわらわらと出てきた。この男がやられるとは、誰も想定していなかったようである。

皆が皆焦って銃をぶっ放すもんだから相打ちさえ、ちらほら見られる。

キルアは腹を抱えて立ち上がると、最後の一仕事をしに再び門の中へと足を踏み入れた。




















「キルア…大丈夫かな……。」


キルアに言われたとおり、獣道を見失わないように辿ってきたら、確かに街に着いた。

後ろを振り返っても、木々が邪魔して遠くまで見渡せない。

キルアの姿も勿論、見えない。


「(キルアだったらやられるわけないよね………。……。で、も…)」


さっきの男のオーラを感じたとき、は思わず震えてしまった。

まだ自分が完全に念の感覚を取り戻していないから、と言うこともあるが、

やはりそれだけあの男には実力があるという何よりの証だった。


は街にはまだ入らずに森の出口付近に立つと、ゆっくりと纏をした。…できる。

次に、練……。よし、いい感じ。


「……発!!」


瞬間、冬にもかかわらず春のような温かい風がの周りを取り巻いた。

の足元で枯れ、うなだれていた花が元気を取り戻した。

ざわめく草や木は活気に満ち溢れているようだ。


「嘘…(できちゃった…)」


スプリングブリーズ
[女神の吐息]


それが彼女の能力の名前。…治癒能力である。


「(キルアが私のところに来さえすれば……怪我を負っていても、治してあげられるのに…)」

どうか無事で、元気な姿を見せて欲しい。ただ、それだけだった。




パチパチパチパチ


「…!?」


不意に、後方から拍手が聞こえてきた。

森の奥から真っ黒な長髪の女性が顔を出す。

「素晴らしい能力ね、さん。」

エリザベスの口は緩やかにカーブを描きこれ以上ないくらい美しく微笑んでいるが、

明らかに笑っていない瞳が、を硬直状態にしてしまう。


「…キルアが貴方をどうしてここまで必要とするのか…どうしても分からなかったの。

 でも……今、それが分かったような気がしたわ。」


大きな、人形のような瞳がを捕らえて離さない。



「その、能力ね。…貴方は貴方自身が必要とされてるんじゃない……!

 …貴方のその素晴らしい能力が必要とされてるだけなのよ……!」



途中で声が裏返っている。それだけ彼女も興奮状態だということだ。

大きな目を更に見開き、真っ黒なドレスを着ているとは思えないほど大またでに詰め寄る。



「アンタなんか……私と比べることすら愚かしいほど劣ってるのに…何も持ってないのに…

 なのに、どうしても手に入れられないものをたった一つだけ持ってる…その、能力のことよ!」




どうして、感情に理由をつけようとするの。自分が劣っていると考えたくないから?

どうしようもない差だと、それだけで片付けてしまおうとしているの?


確かに貴方と私には圧倒的な差があるかもしれない。

私にはお金はないし、両親はとっくに他界してしまった。

確かに私はハンターの資格も、地位も何かも、全部捨ててきたんだ。

その差から、今までの自分を全部否定されるのは、凄く嫌。許せないこと……。




でも…貴方の勝手な言い分で、今までの私とキルアの関係を否定されるのは、




もっと嫌、だ……!





「大人しくキルアを私に譲ってくれるなら、貴方に危害を加えようとは思わないわ。

 …もっとも、まだキルアが無事だったら、の話ではあるけれど。」


そういうと、ふふふ、と不気味な笑みを浮かべた。


「…私にはキルアを“譲る”とか“渡す”とか、キルアを物みたいに扱うなんて、できない。

 キルアはキルアなんだから…キルアが一緒にいたいと言ってくれるなら、私は…」



拳に力が入る。自然と、オーラが体のそこから湧き上がってくるようだ。

エリザベスものオーラを少し感じ始めたようだ。






「私は、貴方を殺してでもキルアと一緒にいる、わ…!」






エリザベスが、何を言っているの、と言ってに飛び掛りそうになったとき、

その動きが止められ、彼女の体が震えだした。








「…ありがとな、。」







ああ、この声だ。

いつも私を闇から救ってくれる、とってもとっても、安らげる声なんだ。


「キルア……。」


キルアはその呼びかけに対して優しい笑みを向けた後、一変して本職の顔へと変化させる。

その目は、しっかりとエリザベスの後頭部を見つめていた。


エリザベスは、本気のキルアの殺気に当てられて身動きが取れないようだ。



「……お前等はオレたちを敵と、みなすんだっけか……」



エリザベスが、恐る恐る振り返る。

キルアと目があい、キルアがニヤりと笑った。



「じゃあ、お前みたいなカスもオレたちの敵…ってことでいいんだよな…?」

「ちょ、ちょっと待って…」

「……オレが…」


キルアは高々と手を上げた。


「いう事を聞くとでも?」



キルアは茶飯事と同様に極々自然な動作で、その首元に手を振り下ろし、

エリザベスはその瞳を恐怖に染めたまま、雪に突っ伏した。


地面に降り積もった白い雪とは対象的な黒い姿の女は、凍死した野良犬のようにさえ見えた。









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